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【シベリアで、ポーランド孤児救出】

シベリアのポーランド人.
 「シベリアのポーランド孤児救出」。日本では殆ど知られていない近現代史の秘話は、ちょうど100年前の1918年(大正7年)の「シベリア出兵」時に起きた出来事である。
 当時のポーランドは帝政ロシアの支配下にあり、独立蜂起を謀ったポーランド人の政治犯などが、多数シベリア送りになっていた。また、第一次世界大戦で戦場となってしまった祖国ポーランドから、シベリアに逃れてきた人々も併せ、当時、シベリアのポーランド人は20万人程に膨れ上がっていた。
 1918年に第一次世界大戦が終結し、漸くポーランドは独立を回復した。
 しかし、シベリアにいたポーランド人は、ロシア内戦のために祖国への帰還が困難となり、生活は困窮を極めて餓死者などが続出した。
 同胞の窮状を救うべく、ウラジオストク在住のポーランド人が「ポーランド救済委員会」を立ち上げ、せめて子供達だけでも救い出し、祖国に帰してやりたいと活動を始めた。

日本、救出に動く.
 当時のシベリアには、精強な日本軍が出兵していた。そこで1920年6月、ポーランド救済委員会は、日本政府にシベリアにいるポーランド人の窮状を訴えた。
 訴えを受けた日本政府は、1920年7月5日、シベリアにいるポーランド孤児の救出を決定。直ちに日本陸軍が救出活動に動き出し、決定から僅か2週間後の1920年7月20日、救い出された56名の孤児とポーランド人の付き添い人5名を乗せ、陸軍の輸送船がウラジオストク港を出航した。

「日本を離れたくない」、と泣くポーランド孤児たち.
 3日後の7月23日、その輸送船は福井県・敦賀に入港した。孤児たちが上陸するや、日本赤十字社を始め、軍や警察、役場、更には一般の敦賀の市民までもが、孤児たちを温かく迎え入れた。
 病気に罹っている子供を治療し、お腹を空かしている孤児らに食事や菓子を与え、入浴させて新しい衣服に着替えさせてやるなど、皆が孤児らを慈愛の心で包み込んだ。
 その後、孤児たちは東京にある福田会育児院に移送・収容された。
 以後、翌1921年7月までに、合わせて375名の孤児が救出された。
 手厚く看護されて元気を取り戻した孤児たちは、横浜港からアメリカ経由で帰国の途についた。いよいよ出港となったその時、ハプニングが起きた。孤児たちが、「日本を離れたくない」と泣き出したのだ。
 極寒のシベリアで極貧の生活を強いられ、親を亡くし、愛情に触れることのなかった孤児たちにとって、誰もが親切な日本は天国だった。孤児たちにとって日本は“祖国”になっていたのだろう。
 孤児たちは「アリガトウ」を連発し、『君が代』を斉唱をし、幼い感謝の気持ちを表して別れを惜しんだという。

 しかし未だ、シベリアにはおよそ2,000名の孤児が救済を待っていた。
 そこで、日本赤十字社は「ポーランド救済委員会」の求めに応じ、経費負担と格闘し乍らも、急を要する孤児たち約400名の受け容れを決定、再び陸軍が救出に乗り出した。
 1922年8月、再び陸軍の輸送船が、孤児390名をウラジオストクから敦賀に輸送した。この第二陣の孤児たちも、前年同様、敦賀の人々に温かく迎えられ、のち、大阪・天王寺に建てられた大阪市立公民病院宿舎に収容された。大阪での歓迎ぶりもまた、東京でのそれに勝るとも劣らぬものであった。
 祖国へ帰る船が、神戸港から出航する際、孤児たち一人一人にバナナと記念の菓子が配られ、大勢の見送りの人たちも涙を流し、孤児たちの幸せを祈りながら、船が見えなくなるまで手を振っていたという。
 この出来事は“博愛の連鎖”を生んだ。日本に救出されたポーランド孤児たちの中には、第二次世界大戦中、迫害されたユダヤ人を命懸けで守った人もいたという。

脈々と続く、ポーランドとの交流.
 ポーランドは、この孤児救出を忘れてはいなかった。
 平成7年と8年、ポーランド政府は、阪神淡路大震災の被災児童らをポーランドに招待し、ワルシャワで4名のポーランド孤児との対面などを通じ、子供達を温かく励ましてくれた。
 その後もポーランド政府は、平成23年に発生した東日本大震災で被災した岩手県と宮城県の子供達を、2週間もポーランドに招いてくれた。
 更に、昨年平成29年、首都ワルシャワで開かれた第5回養護施設児童のためのサッカーワールドカップにも、かつてポーランド孤児を受け容れ、養護してくれた福田会の児童らを招くなど、100年前のポーランド孤児救出劇への感謝は、今も色褪せることはない。

 平成23年、ポーランド大使のヤドビガ・ロドヴィッチ・チェホフスカ大使が、広尾をジョギング中に『福田会』のプレートを発見し、「ひょっとして、ここは、かつてシベリアからポーランド孤児を助けてくれた福田会ですか」、と尋ねて来た。そこから再びポーランドとの交流が始まった。
 平成24年と27年、ポーランド大統領夫人アンナ・コモロフスカ氏が福田会に来園されるなど、かつてのポーランド孤児救出を源流とした日本とポーランドとの交流が復活した。

 駐日ポーランド共和国大使館・広報文化センター所長のマリア・ジュラフスカ一等書記官は、「このポーランド孤児救出の出来事は、実に感動的な話であり、今もポーランドでは語り継がれています。もっと日本人に知って貰いたいと思います。今でも、ポーランド政府は日本に感謝しています。日本では余り知られていない様ですが、歴史的に、ポーランドと日本は大変に密接な関係を続けてきたのです」、と語る。

 実は、ジュラフスカ一等書記官の言葉にあるように、日本とポーランドの絆は、このシベリアからの孤児救出の前から、正確に言えば日露戦争(1904年)の頃から始まっており、更に驚くべきことに、第二次世界大戦中も、日本とポーランドは繋がっていたのである。
 例えば日露戦争時、ロシアの支配下にあったポーランドにとって、謂わばロシアは敵であり、敵の敵は味方、つまり日本はポーランドの味方=友邦だった。
 一方日本は、ポーランドからロシアに関する情報を入手するなど、ポーランドの協力を得て、内側からロシアを弱体化させることも可能と考えた。互いの利害は一致していたのだ。
 第二次世界大戦でも、日本はドイツと同盟(日独伊三国同盟)を結んでいたにも拘わらず、ポーランドと日本は水面下で繋がっており、情報の分野で協力し合っていた。つまりポーランドと日本は、これまで一貫して友好であり続けてきたのである。

 知られざる、日本とポーランドの交流秘話。両国の絆は日露戦争にまで遡り、その後のシベリア出兵で、結果として765名のポーランド孤児を救出する事ができた。両国の感謝の応酬は今も続いている。
 今年2018年は、ポーランド孤児救出劇を生んだシベリア出兵から100年目に当たる。そして来年2019年は、日本とヨーロッパ一の親日国家・ポーランドとの国交樹立100周年を迎える。

* * *

 非難されがちだった「シベリア出兵」。その「シベリア出兵」が歴史の陰で、「シベリアのポーランド孤児救出」の美談。いやぁ、初めて知った感動の極みでした。


★産経ニュース『【正論5月号】シベリア出兵の美しき真実 ポーランド人を救った日本人』(ジャーナリスト・井上和彦氏)、(2018.4.28)、(月刊「正論5月号」からの転載記事)、より.
★上記へのリンク http://www.sankei.com/premium/news/180428/prm1804280002-n1.html

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【漂流する韓国】

 朝鮮に於ける最近三世紀の期間、貴族階級が政治的・行政的議論そっちのけで、ただ単に、尊厳や職務上の影響力のみを争って憎悪をぶつけ合う、血生臭く不毛の争いの歴史が繰り返されてきた。

韓国・歴代大統領の末路.
 弾劾により大統領を罷免された朴槿恵(パク・クネ)氏が一審判決で、懲役24年、罰金180億ウォン(約18億円)を言い渡された。
 前政権の悪を徹底的に暴き、現政権の統治の正統性の証とするのが、この国の政治の伝統だ。今年3月下旬、李明博(イ・ミョンバク)氏も逮捕された。
 独立後の韓国の大統領は、李承晩(イ・スンマン)氏以来、現職の文在寅(ムン・ジェイン)氏を除いて11人だが、その末路は、暗殺・拘束・自殺を含め、悲劇的なものが殆どである。

李朝時代から続く「党争」.
 李朝時代以来、富も名誉もその源泉は、全て中央の政治権力にあった。その権力を求めて各集団が鎬(しのぎ)を削る「党争」が展開された。
 昔から朝鮮は、文治社会だった。党争の手段は、武力ではなく儒教に基づく論理であった。自らを正統とし、他を異端として抹殺しようとするイデオロギー闘争で、怨讐と遺恨を含む党争が延々と続いてきた。

李朝の支配体制.
 李朝時代の高級官僚は「両班(ヤンバン)」と呼ばれ、難関の「科挙」に合格した一握りの秀才たちであった。この官僚群が、国王を支えて国家を統治した。地方では、長官から末端に至るまでの全ての首長が、中央から派遣される官僚によって占められていた。李朝は極度の中央集権的体制であった。
 李朝の万全な中央集権体制が500年余りの長期に亘ったので、様々な欠陥が生じた。
 その一例として、「宗族」と呼ばれる男子単系の同族的な門閥形成された。
 宗族は両班を輩出する母体で、宗族間には横の繋がりがなかった。連携なき宗族が頂点を目指して競い合い、この過程で生じた宗族間の争いは、凄まじいものであった。

文氏のポピュリズムに、未来はない.
 文大統領は、李明博氏と朴槿恵氏の旧保守政権の罪科を問うことで、自らの政権基盤の強化を狙っている。敵対勢力への政治的報復であり、李朝時代の党争への先祖返りである。
 困ったことに、韓国々民は、文氏のこの政治的姿勢を強く支持している。旧政権の権力者をバッシングする文氏の立ち居振る舞いは、国民には「悪魔ばらい」の如く映り、その姿勢に喝采を送っている。これはポピュリズムである。
 間近に南北首脳会談を、次いで米朝首脳会談を控え、韓国は正念場にある。文政権のポピュリズムに身を委ねた韓国に未来はあるのか。国民が覚醒できなければ、国は止めどなく漂流し、何処に行き着くのか分からなくなってしまう。韓国の民よ、覚醒せよ。

●現状を見るに、覚醒までには長~い時間がかかるだろう。


★産経ニュース『【正論】韓国民よ、政治危機に覚醒せよ』(拓殖大学学事顧問・渡辺利夫氏)、(2018.4.23)、より.
★上記へのリンク http://www.sankei.com/column/news/180423/clm1804230004-n1.html

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【核とミサイルの開発中止、ホント?】

核・ミサイルの開発中止.
 北朝鮮は一昨日(4/20)、朝鮮労働党の中央委員会総会を開き、4/21から核実験や大陸間弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を中止し、北東部、豊渓里(プンゲリ)の核実験場を廃棄すると決定した。
 南北首脳会談や米朝首脳会談を前に、核開発を優先してきたこれまでの路線を、大きく転換させた形だ。
 米朝会談に向けた条件整備ともいえようが、核保有国としての立場は取り下げておらず、「完全な非核化」には言及しなかった。完全な核廃棄を求めるトランプ米政権との非核化交渉は難航も予想される。

中止の背景.
 金正恩(キム・ジョンウン)委員長は、昨年11月の大陸間弾道ミサイル(ICBM)「火星15」の発射を受けて「核戦力兵器化の完結」が検証され、もはや核実験やミサイル試射は必要なくなった、との論理による今回の決定だ。
 廃棄を決めた豊渓里の核実験場は6回にわたって核実験が繰り返されてきた。昨年9月の実験以降は、余波とみられる地震が複数回観測され、これ以上の実験には耐えられないとの分析があった。早晩、廃棄は不可避だったと見られていた。
 制裁が完全履行されれば、貿易額の9割を失うという状況下、経済政策への集中も避けられなかったのだろう。
 金委員長は、核保有国として「核軍縮」に臨む姿勢を示しており、「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」を迫るトランプ政権との溝が埋まった訳ではない。

●ホントかなぁ。なんせ、『狼少年』(イソップ寓話)だからなぁ。

日本の反応.
 小野寺五典・防衛相は北朝鮮の決定について、「国際社会が求めているのは、完全で検証可能な不可逆的な方法で、全ての大量破壊兵器とあらゆる弾道ミサイルを放棄することだ」、とした上で、「日本にとっては、中・短距離弾道ミサイルの放棄がなければ意味がない」、と断言した。
 また、今回の北朝鮮決定に関わらず、北朝鮮への「最大限の圧力」を維持するとも強調。


★産経ニュース『北朝鮮が核実験場を廃棄、ICBM発射中止 党中央委総会で決定』(号外)、(2018.4.21)、
★上記へのリンク http://www.sankei.com/world/news/180421/wor1804210004-n1.html

★産経ニュース『【北の核実験場廃棄声明】米朝交渉の正当化に迫られ…苦肉の「勝利」宣言』(2018.4.21)、
★上記へのリンク http://www.sankei.com/world/news/180421/wor1804210025-n1.html

★産経ニュース『【北の核実験場廃棄声明】小野寺防衛相「中・短距離含まれなければ意味ない」 日本として満足できず』(2018.4.21)、
★上記へのリンク http://www.sankei.com/world/news/180421/wor1804210006-n1.html
より.


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【「エアポケット」を事前に検知、JAXA】

 飛行機にとって乱気流による「エアポケット」は厄介な存在で、事前に検知するのが困難なもの。
 エアポケットに巻き込まれると機体は上下に激しく揺れ、数秒で数百メートルも急降下する場合がある。
 1966年には富士山上空で、エアポケットに巻き込まれた英国海外航空機が空中分解し、124名全員が死亡する大惨事が発生している。
 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は、米航空機大手のボーイング社と共同で、エアポケットを事前に検知できる装置を開発し、5年後をめどに実用化を目指している。

電波レーダーでは検知不可.
 エアポケットは、「晴天乱気流」によって引き起こされる下降気流である。乱気流は積乱雲のような雲の中だけではなく、雲の上でも起きる。雲の上は晴れており、そこで発生する乱気流を晴天乱気流という。
 雲の中で起きる乱気流であれば、飛行機から電波を発射し、雲の水滴にぶつかって反射してくる電波を捉えることで検知できるが、エアポケットは雲のない場所で発生するため、雲の水滴からの電波反射は期待できず、電波レーダーによる検知は不可能。

赤外線で検知可能.
 そこでJAXAは三菱電機と共同で、乱気流を検知し事故を防止するシステムの開発を進めている。
 具体的には、機体に搭載した「ドップラーライダー」という装置から赤外線パルスを発射し、エアポケット内で激しく飛び回っている塵や氷の微粒子感知し、エアポケットを事前に検知するというもの。
 それで、エアポケットに遭遇するまでの時間・距離・風の強さや向きが分かる。小型ジェット機を使った実験では、平均17・5キロ先の乱気流を検知できるのが確認できた。時間に換算すると、エアポケットに遭遇までに70秒ほどの余裕ができ、乗客にシートベルトの着用を促すことができる。
 エアポケットを検知しても、高速で飛行する航空機が回避できるとは限らない。無理な回避はむしろ危険な場合もある。
 そこで重要になるのが、機体の揺れを低減する技術だ。ドップラーライダーのデータを基に揺れを短時間で予測し、主翼の後ろ側に取り付けた補助翼を作動させて機体を制御すれば、揺れを半分程度に抑えられる。

ボーイングも評価.
 JAXAは今年3月、ボーイングとの飛行試験を開始し、検知技術の信頼性などを検証している。
 装置は小型軽量で搭載し易いのが特徴で、JAXAからの技術移転で三菱電機が商品化する見通し。ボーイングは、「世界で最高のシステムの一つ」と評価しており、同社機に搭載される可能性がある。
 JAXAの井之口浜木・研究領域主幹は、「基礎研究から始めて20年、実用化へあと一歩のところまで来た。できるだけ飛行機の事故を減らしたい」、と意気込んでいる。


★産経ニュース『【クローズアップ科学】見えない乱気流から飛行機を守れ 過去に死傷事故、JAXAとボーイングが検知実験開始』(2018.4.15)、より.
★上記へのリンク https://www.sankei.com/economy/news/180415/ecn1804150003-n1.html

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【『孔子学院』をスパイ組織と断定、アメリカ】

「2つの中国」.
 中国の習近平・国家主席は、台湾統一工作では侵攻も除外しない強硬策を断行する構えを示唆した。
 一方、トランプ米大統領は、米国と台湾の閣僚や政府高官の相互交流を活発化する超党派の『台湾旅行法案』に署名し同法を成立させた。
 「2つの中国」について習主席が強硬策に言及したのは、米国の対中外交の衝撃的大転換が念頭にあったものと思われる。

「2つの朝鮮」.
 1992年、中国は経済的利益を優先して韓国と国交を樹立した。「2つの中国」は武力をもってでも阻止せんとし、「2つの朝鮮」は容認したことになる。北朝鮮にしてみれば中国外交はダブル・スタンダードであり、明らかなる裏切り行為であった。
 翌1993年、中国への不信感を高めた北朝鮮の核開発疑惑が浮上した。北朝鮮は『核拡散防止条約』から脱退した。
 以来、北朝鮮は中国の「核の傘」と半ば決別し、独自性を濃厚にしていく。核・弾道ミサイルをツールにした瀬戸際外交へと、国家戦略を切り替えた。
 金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が国家指導者となると、中朝関係は急激に悪化した。
 中国寄りで、ナンバー2の叔父・張成沢(チャン・ソンテク)氏が中国共産党と謀議し、異母兄・金正男(キム・ジョンナム)氏を指導者に担ごうとしたクーデター未遂で極に達した。金正恩氏は残酷な手口で叔父と異母兄を殺し、中国の隠密介入に“応答”した。

中国の軍事力増大.
 中国は、経済・軍事力をバックに国際的な影響力を増大させ続ける。その先は、日本を蹴落として「アジア皇帝」という栄光を、更にその先は、米国に追い付き → 追い越し「世界皇帝」になる栄冠を目標としている。
 中国は今世紀の中頃までに、米軍に比肩する「世界一流の軍隊」を建設することを目指している。2030年までには、原子力空母2隻を含む空母4隻を核とする、4個空母打撃群も配備するとのこと。
 米シンクタンク『ランド』は、米中経済安全保障調査委員会の公聴会で、「2035年に人民解放軍の戦力は、インド・太平洋地域において米軍や同盟国軍と同等以上になる」、と警告している。

「学院」という名のスパイ組織.
 米国では3人の共和党議員が、米国内100カ所以上の大学などに設置されている、中国政府の公的機関『孔子学院』などを対象に、『外国代理人登録法』に基づく登録を義務付け、監視強化を図る『外国影響力透明化法案』を上下両院に提出した。
 『孔子学院』は表向き、「世界の人々の中国の言語・文化への理解を深め、外国との友好関係を発展させる」、との基本理念を掲げる。146カ国・地域の大学などに525カ所、小規模な『孔子教室』は1,113カ所もある。日本でも、学院14カ所と教室8カ所が開設されている。
 FBI(米連邦捜査局)は、『孔子学院』や『孔子教室』をスパイ組織と断定している。
 FBI長官は、情報特別委員会の公聴会で、『孔子学院』が中国共産党思想の政治宣伝や中国政府のスパイ活動に利用され、「捜査対象」になっている旨を明言。米国内の中国人留学生や、中国の民主化・人権活動に携わる在米中国人の動向監視にも活用されていると断じた。
 『孔子学院』への監視強化を促す新法の淵源となった『外国代理人登録法』は、ナチス・ドイツの米国内でのロビー活動封じ込めを目的に1938年に制定されたもの。中国共産党の世界覇権への野望は、遂にナチス・ドイツと同じ危険域に達した、との警戒感を米国は持ち始めたのだろうか・・・

★産経ニュース『【野口裕之の軍事情勢】サヨナラ「孔子学院」 米国は中国共産党の世界覇権の野望を危険と認識!』(2018.3.26)、より.
★上記へのリンク http://www.sankei.com/premium/news/180326/prm1803260004-n1.html

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【ケネディ大統領暗殺の機密文書、公開】

 昨年(2017年)10月、1963年のジョン・F・ケネディ大統領の暗殺事件に関する、非公開だった機密文書約2800件が公開された。
 これまで、この暗殺事件に関する文書の88%が公開済みだが、11%は一部が黒塗りで、残る1%が全面非公開となっていた。

政府公式見解に対する疑惑.
 この暗殺についてのアメリカ政府公式見解は、「テキサス教科書倉庫ビルから、オズワルド容疑者が狙撃した単独犯行」となっているが、アメリカ国民でそれを信じている者は殆どいない。
 この事件を調査したウォレン委員会は、「オズワルドの単独犯行」との調査報告書を纏めたが、ジョンソン大統領はその証拠資料を、「75年後の2039年まで非公開」と決めた。
 前記ウォレン委員会の報告書と矛盾する証言をした証人が、次々と変死している事(下記)からも、疑惑が深まっていた。

①.事件への関与が疑われていたマフィア、CIA関係者が聴取の直前に不審死を遂げ、
②.ダラスへ3人の殺し屋を送ったとされるシカゴ・マフィアのドン、サム・ジアンカーナも証言する直前に殺された。
③.上記3人の殺し屋のうち2人は殺され、もう1人は別の殺人事件で逮捕され、刑務所内で亡くなった(死因は不明。以前、TV・ドキュメンタリー番組の中で、「ケネディを射殺したのは俺だ」、と言っていた男か)。

 ケネディ大統領は軍部から、「ベトナムに米軍の正規軍を投入するよう」執拗に要求され続けたが、大統領は応じないばかりか、当時ベトナムに送り込んでいた軍事顧問団さえ引き上げると発表した、暗殺される1ヶ月前の出来事だった。
 ケネディ大統領が暗殺され、副大統領から昇格したジョンソン大統領の下で、ベトナム戦争は本格化して何十万もの正規軍が投入され、アメリカは出口戦略なき泥沼へと引きずり込まれていった。結局、ベトナム戦争でアメリカは敗戦。

 上記から、オズワルド容疑者による単独犯行であるとする政府公式見解に対し、根強い疑惑や陰謀説が燻っていた。
 今回の機密文書の公開で、それら疑念や陰謀説を一掃できるのか、また逆に、新たな「疑惑」を呼び起こすのか、注目が集まっていた。

一部、公開差し止め.
 ところが、当該機密文書の一部については、連邦捜査局(FBI)や中央情報局(CIA)が安全保障上の影響を理由に一部の非公開を強く主張したため、一部の公開が保留された。
 FBIやCIAなど関係当局から公開差し止めや記述の削除の要請があった文書に関しては、今後180日間をかけ(今月4月末までか)、公開の是非が検討される予定。
 CIAなどが文書の公開差し止めを主張しているのは、当局に情報を提供していた国内外の協力者の個人情報が明らかになる可能性が高く、協力者が存命の場合は個人の名誉が損なわれる懸念が出ているためだとしている。
 また、外国の軍や情報機関、治安当局との諜報活動を巡る協力関係の実態も明るみに出る恐れがあるため、ともしている
 だが、全面公開が予定されていた土壇場で、一部文書の公開が保留されたため、この暗殺事件の背後には「陰謀」が存在する、と主張する一部の研究家やマニアの間で憶測が飛び交うのは必至と見られる。

★産経ニュース『JFK暗殺機密文書、ついに公開 「陰謀論」一掃なるか』(2017.10.26)、
★上記へのリンク http://www.sankei.com/world/news/171026/wor1710260035-n1.html

★産経ニュース『トランプ氏、ケネディ暗殺文書の一部公開保留を指示 CIAなどの公開差し止め圧力に譲歩』(2017.10.27)、
★上記へのリンク https://www.sankei.com/world/news/171027/wor1710270019-n1.html

★日本経済新聞『ケネディ暗殺文書、全面公開見送り 180日以内に再検討』(2017/10/27)、
★上記へのリンク ↓
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22776980X21C17A0000000/?n_cid=DSPRM3366&waad=kUH7ch7w&gclid=EAIaIQobChMI1oGsns-i2gIVCg4rCh2QyAsKEAEYASAAEgKKevD_BwE

★当ブログ【ケネディ大統領暗殺から50年】(2013/11/23)、
より.


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【時代錯誤の日本国憲法】

 ワシントンでは今、北朝鮮の脅威についての論評が盛んだ。北朝鮮の核ミサイルが、米国の安全を脅かしているから当然だろう。
 そんな中、「迫り来る北朝鮮の核の悪夢」、と題する最新刊の書籍が関心を集めている。筆者は中央情報局(CIA)や、国務・国防両省で25年以上、北朝鮮の核兵器や弾道ミサイルの動きを追ってきたフレッド・フライツ氏で、現在、民間研究機関の安全保障政策センター副所長という立場にある。トランプ路線の支持者でもある。

●同書の注目点は第1に、北朝鮮の核とミサイルの開発の現状や経緯が、類書よりずっと詳細、かつ極めて具体的に明示されていること。
●第2に、同書がトランプ政権の北朝鮮政策を読み解く指針になり得る点。オバマ政権の「戦略的忍耐」を非難し、トランプ政権の「最大圧力」の効用を強調し、最悪事態に備えての限定的な予防軍事攻撃の具体的なシナリオをも描いている。
●第3は、同書が日本への北朝鮮の脅威を詳述している点。米国自体を脅かす兵器類とは別に、弾道ミサイルでは、短距離のスカッドのうち西日本にも届く数十基に始まり、準中距離のノドン、中距離のムスダン、潜水艦発射のKN11など、その多くが日本に照準を合わせている。

 同書は、北朝鮮が日本を激しく敵視している点を説明し、北朝鮮が、日本を核ミサイルで攻撃する可能性を指摘している。
 その上でフライツ氏は、北朝鮮の核ミサイルの脅威に対し、日本が有効な自衛手段を全く持っていない点に懸念を抱いている。

 フライツ氏いわく、「日本の現憲法は、日本に向けての発射が切迫した北朝鮮のミサイル基地を、予防攻撃することを許さず、米国に向けて発射されたミサイルを、日本上空で撃墜することも認めない。憲法9条の規定により、日本領土外の敵は攻撃できず、同盟国を守るための軍事行動も取れない。日本は、自国の防衛を正常化する必要がある。」
 憲法9条に根拠を置く専守防衛、そして集団的自衛権禁止という年来の日本の防衛態勢の自縄自縛が、北朝鮮のミサイルの脅威によって明らかな欠陥を曝した、ということだ。
 日本の現憲法が占領米軍によって書かれた当時、日本の防衛といえば、敵の地上軍が日本領土に上陸して初めて活動開始という概念だった。遠方から飛んでくるミサイルが日本の防衛を崩壊させる、という現在の常識は夢想だにされなかった。日本の憲法と防衛のそんな時代錯誤は、こうして、米国で出版された書物によって裏付けられている。

* * *

 このフライツ氏の他、米国人からの「日本国憲法改憲論」が目に付く今日この頃。
 例えば、米国人歴史学者ジェイソン・モーガン著、目からウロコの改憲論『日本国憲法は日本人の恥である』(悟空出版・刊)など。
 日本人ではなく、米国人からの「日本国憲法改憲論」である。一体、何なんだ、これ?


★産経ニュース『【あめりかノート】北の脅威に時代錯誤の防衛…有効な自衛手段まったく持たないことへの懸念』(古森義久・ワシントン駐在客員特派員)、(2018.3.25)、より.
★上記へのリンク http://www.sankei.com/world/news/180325/wor1803250011-n1.html

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【金正恩委員長、電撃訪中】

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が突然、中国を訪問した。
 「中朝首脳会談」について、中国国営新華社通信は、「(金委員長が)非核化への努力を約束した」、と報じた。一方、北朝鮮は「非核化の約束」を報じなかった。それどころか、政府の公式発表もない「冷たい中朝首脳会談」だった。
 中国の報道映像は、習近平・国家主席が余裕を持って対応し、金委員長がメモを取る姿を映し出した。この映像は「先生」のように指示する習主席の言葉に、「生徒」のような北朝鮮指導者が聞き入る姿を強調していた。

 今回の電撃訪中でまず考えるべきは、それが公式訪中か非公式訪中か、という判断だが、今回は明らかに非公式だった。
 仮に公式訪中であれば、中国は歓迎式典を行うだろうし、メディア向けに報道文も発表し、中国メディアも大きく報道していたはずである。そして最後に、中国は「お土産」を準備し、北朝鮮側はそれを誇示する。
 しかし、今回の場合、金委員長の訪問は秘密裡に行われ、北京を出発した後も公式発表は行われていない。
 中国が金委員長の訪中を北朝鮮に帰国するまで発表しなかったのは、指導者が国を空けてといると分かるとクーデターの危険があったからだ。また、列車の往来で爆破テロの恐れもあった。これは北朝鮮内部が決して安定していない事実を示唆している。

 何故、金委員長は電撃訪中をせざるを得なかったのか。
 中国政府筋によると、中国は北朝鮮に「送油施設の故障で、半年ほど原油を送れない」と通告したという。石油供給を中断したのだ。
 また北朝鮮は、米朝首脳会談の事前接触がうまくいっていない事実にも困り果てていた。トランプ米大統領が、軍事攻撃を示唆する言動を続けていたからだ。

 北朝鮮の歴代指導者は、就任前と就任後には必ず訪中していた。ところが、金委員長は就任以来一度も訪中できなかった。習主席が金委員長を快く思っていなかったことが原因らしい。
 そのため、中国は国連制裁に従い、石油供給を減少させた。その上で、北朝鮮に「非核化」を約束しないと首脳会談は難しいと伝えていたという。

 中国メディアによると、金委員長は、「非核化に努力する」と約束した。
 かつて、金日成(キム・イルソン)主席も金正日(キム・ジョンイル)総書記も用いた「朝鮮半島の非核化に努力する」なる表現は、韓国の非核化も意味する。だが、韓国に核兵器はないので実効性を伴わない。
 実は会談の中で、金委員長が一歩踏み込んで「朝鮮半島」の言葉を外し、単に「非核化に努力する」と言及したのではないか。これは、北朝鮮の非核化を約束した事に等しい。この表現は、金委員長の「最大限の譲歩」を意味している。

* * *

 しかし、金委員長はその地位にある限り、やっとの思いで手にした「核」を手放すまい。
 2018.3.28付け産経ニュースの記事に、『【北朝鮮情勢】北朝鮮・寧辺の軽水炉が試験運用開始か、隣接の黒鉛減速炉も 核兵器用プルトニウムの製造加速か』、とあるのがその証左。


★iRONNA『習近平先生の怒りを買った「悪ガキ」金正恩の大チョンボ』(重村智計・早稲田大学名誉教授)、より.
★上記へのリンク https://ironna.jp/article/9296

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