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【人種差別の原爆投下】

チャーチル首相、原爆投下に同意.
 第二次大戦末期の1945年7月、英国のチャーチル首相が、米国による日本への原爆使用に最終同意して署名していた事が、英国立公文書館所蔵の秘密文書で判明した。広島と長崎への原爆投下に至る意思決定に、チャーチル首相が深く関わっていた事が分かった。
 その秘密文書によると、原爆開発の「マンハッタン計画」責任者・グローブス米陸軍少将が、1945年6月初め、日本に対する原爆使用の許可を英政府に要請した。
 この要請は、米国が核兵器開発に成功しても英国が同意しなければ使用できない等を定めた、1943年8月の「ケベック協定」に基づいている。
 この要請を受け、チャーチル首相は1945年7月1日、同意文書に署名した。
 またチャーチル首相は、1945年7月24日のポツダム会談で、前年(1944年)9月に密約した「ハイドパーク協定」(日本への原爆使用の密約)を持ち出し、「警告なしで使用すべきだ」、とトルーマン大統領に迫ってもいる。
 トルーマン大統領は翌日(7/25)、原爆の投下を命令した。結果、翌8月6日、人類史上初のウラン原爆が広島に、3日後の9日には、プルトニウム原爆が長崎に投下された。

英米の原爆開発.
 1930年代から亡命ユダヤ人科学者により、核分裂や核融合反応で放出されるエネルギーを利用した新兵器の研究が進められ、1940年にウラン235単独で爆弾が製造可能という理論を纏めた。
 1941年10月、英国の原爆開発計画「チューブ・アロイズ」が始動。米国に開発推進を訴え、1942年8月、米国の原爆開発計画「マンハッタン計画」が始まった経緯がある。
 チャーチル首相は1944年9月、ルーズベルト大統領の別荘を訪れた際に結んだハイドパーク協定で、「原爆が完成したら、ドイツではなく日本に原爆を投下する」、と米英で密約され、翌月(10月)から、米国は原爆投下の最終準備に入った。

【参考】ケベック協定.
 1943年8月、ルーズベルト×チャーチルの米英首脳はカナダ・ケベック州で原爆の共同開発を密約し、次の3点を取り決めた協定.
(1).原爆を互いに対し、攻撃するために使用しない.
(2).第三国に使用する場合、互いの同意が必要.
(3).両国の同意がない限り、英原爆開発計画「チューブ・アロイズ」に関する情報を流さない.

* * *

 当方は今まで、『原爆は、対ナチス・ドイツ戦を想定して開発されたものの、1945年5月、ナチス・ドイツが無条件降伏してしまった。そこで已むを得ず、巨額の税金を投じて完成した証としての配慮もあり、原爆を日本に投下した』、と理解していた。
 しかし、発見されたこの秘密文書により、当初から日本への投下を想定していた事が判明した。これって、(有色)人種差別じゃない?


★産経ニュース『原爆投下でチャーチル英首相が7月1日に最終同意署名 1945年の秘密文書』(2018.8.9)、より.
★上記へのリンク http://www.sankei.com/world/news/180809/wor1808090046-n1.html

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