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【戦争を誘発する、平和主義】

平和を欲するなら、戦いに備えよ.
 ロシアは平然とウクライナに侵攻した。21世紀になっても、戦争は続いている。
 戦後の日本では『平和主義』が尊重される。しかし、平和主義には致命的な欠陥がある。それは、平和を維持する具体的・現実的な方策が示されていないのだ。
 憲法9条で平和を維持できる、という非現実的な『平和主義』。しかし、平和は懸命な努力の上でしか成り立たない、との平凡な真理を日本国民の多くは意識していない。

 「汝、平和を欲するなら、戦いに備えよ」。
 これは古代ローマの格言で、「平和は、戦争の準備によって維持される」との意。
 逆に言えば、平和のため戦争を避けようと欲したが故に、大きな災厄が降りかかる事がある。
 例えば、第一次世界大戦後に訪れた平和が、再び崩壊していく過程がそれだ
 1936年、軍備を制限されていたナチス・ドイツが再軍備を宣言し、非武装地帯と定められたラインラント(現在のドイツ西部)に進駐した際、英仏両国は表面的に抗議するのみで、真剣に排除しなかったため、これが事実上、ヒトラーの国際秩序破壊を是認するものとなった。
 増長したヒトラーは、オーストリアの併合・チェコスロバキアの併合へと突き進み、遂にはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦へと至る。
 後、元米国々務長官・キッシンジャー氏は、「戦間期の民主主義諸国の政治家達は、バランス・オブ・パワーが崩れる事よりも、戦争を恐れたのであった」。つまり、小さな戦いを避けた故、絶望的なまでに巨大な戦争に突入する事になったと言っている。

 15~16世紀の政治思想家・マキャヴェリも『君主論』において、徒に戦争を避けようとする愚について、次の様に論じている。「戦争は避けられるものではなく、尻込みしていれば、敵方を利するだけだ」、と。
 この言葉通り、英仏はヒトラーに妥協と譲歩を繰り返し、時間を与えた事によってナチス・ドイツの軍備は精強なものとなっていった。

無視されたチャーチルとド・ゴールの警鐘.
 英国のチャーチルは、ヒトラーが再軍備を宣言した際、「英国空軍を創設して対抗すべきである」と説いた。正に、「平和を欲するが故に、戦いに備えよ」、である。
 チャーチルの救国の訴えは「危険」・「大げさ」と嘲笑され、軍縮こそが平和のための唯一の方策である、とチャーチルの意見は退けられた。

 1938年にドイツのズデーテン地方(現在のチェコ領)併合を認めたミュンヘン会談は、対ドイツ宥和政策の失敗の象徴として現在では有名だが、当時は違った。
 当時は、これでヒトラーの野望は十分に達せられ、これ以上を望むことはあるまいというのが宥和派の論理で、その決断を下したチェンバレン首相は、平和を守り抜いた政治家として絶賛された。
 この後、欧州の平和はナチス・ドイツによって危機に瀕した。
 慧眼だったのは平和のため戦いに備えよと訴え続けたチャーチルであり、平和のために平和を守ろうとしたチェンバレンではなかった。

 具眼の士はフランスにもいた。若き日のド・ゴールである。
 彼は、「戦争を厭うだけで戦争はなくならない。平和を守り通そうとするならば、戦いへの備えが必要だ」、と警鐘を鳴らした。
 第一次世界大戦という未曾有の大戦争で多くの人々が死傷し、戦争を厭う雰囲気が充満していたフランスでは、多くの国民は戦争を忌避するのみで、戦争への備えを想定する事さえ拒絶した。その結果が第二次大戦であった。

我が国の守り.
 安倍晋三・元首相が成立させた平和安全法制は、国連憲章で容認された集団的自衛権の行使を限定的に認めるとの内容で、日米同盟を深化させるために必要な法制だ。
 日本の平和を維持してきたのは憲法9条ではなく、自衛隊と日米同盟の存在があったからなのに、未だに、多くの憲法学者は自衛隊を違憲の存在と主張する。
 違憲の存在によって守られている我々の平和とは、一体何なのか。
 平和を守るために憲法9条を改正し、自衛隊を堂々と憲法に明記すべき時を迎えているのではないか。


★産経ニュース『「平和主義者」が戦争を招く…』(政治学者・岩田温[アツシ]氏)、(2022/4/28)、より.
★上記へのリンク https://www.sankei.com/article/20220428-JIN5LPJYTROINOWP3OD6CF2H7A/

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