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【邪馬台国、九州説】

邪馬台国、九州説.
 今年8月、邪馬台国論争に関し、謎の王国『狗奴国(くなこく)』の推定位置が示された。
 魏志倭人伝によると、狗奴国は邪馬台国の南にあった事になっている。その狗奴国が熊本県にあったというのだ。両国の位置関係から、邪馬台国は九州・福岡県にあった、という事になる。

一時は、畿内説が有力視.
 邪馬台国論争で、九州説か畿内説かは、今でも決着していない。平成21年、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、宮殿を思わせる3世紀前半の建物群遺構が見つかり、畿内説が勢いづいた。
 邪馬台国の有力候補地とされた纒向遺跡は、卑弥呼の擁立時期に近い3世紀初頭の遺構で、全国に波及していく前方後円墳の発源地とされている。卑弥呼の擁立で倭国が纏まった象徴が前方後円墳とされ、邪馬台国・畿内説が有力となった。

“墓制”に弱点がある畿内説.
 しかし畿内説には、決定的な弱点がある。
 三重大学の小澤毅・教授は今年8月、魏志倭人伝が倭の墓制について、『棺あるも槨(かく)なく、土を封じて冢(つか)を作る』と記している点に注目し、「九州北部における弥生時代の墓制は、魏志倭人伝の記述と合致するが、近畿地方などの前方後円墳などは、竪穴式石槨(石室)や石囲い木槨などの槨を備えており、魏志倭人伝の記述と合致しない」、と畿内説を否定した。
 また小澤教授は、「魏志倭人伝に狗奴国の長官名が『狗古智卑狗(クコチヒク)』とあるのは、古代、『ククチ』と呼ばれた熊本県菊池郡の『菊池彦』と解し、球磨郡などに、『クナ』の転訛と見られる『クマ』の地名が多い事と合わせ、狗奴国の主な領域は熊本県と考えてよいだろう」、と言い切った。

邪馬台国は福岡県域に?
 卑弥呼の時代、日本列島で鉄器生産が最も盛んだったのは北九州とされてきた。特に、熊本県域の鉄製品の生産遺跡数や出土量が多い。
 土器は生活品、鉄は武器に使われ、それらの出土状況から、北九州、熊本に一定の文化・生活圏を持つ国があった事が分かる。魏志倭人伝の記述や小澤教授らの説とも合わせると、福岡県域に邪馬台国が、熊本県域に狗奴国が存在した事がはっきりとイメージできる。

 魏志倭人伝では倭国の位置が、『会稽(かいけい)・東冶(とうや)の東』と記されている。当時の中国は、魏・呉・蜀が覇権を争った『三国志』の時代で、会稽・東冶は呉の領域だった。つまり「会稽・東冶の東」とは呉の東方海域で、日本の南西諸島から九州北部までのライン以外は考えられない。
 『三国志』には、呉の孫権が230年、大船団を東シナ海に派遣したと記されている。南海航路で呉と繫がる『狗奴国ネットワーク』が想定され、大量の鉄製武器を蓄えた狗奴国が、南海航路を通じて海洋交易をしていた状況が推察できる。

『親魏倭王』の称号と、倭国の内乱.
 魏志倭人伝によると卑弥呼は、呉と凌ぎを削っていた魏の皇帝から『親魏倭王』の称号を与えられた。間もなくして邪馬台国と狗奴国の交戦が始まったが、これは魏と呉の緊張関係が背後にあった、という事を示唆しているのだろう。

●“墓制”や、狗奴国の位置などを考察し、邪馬台国・九州説を導き出したのは目新しい。


★産経ニュース『卑弥呼の邪馬台国と争った国が熊本に 九州説に新解釈』(2019.9.2)、より.
★上記へのリンク https://special.sankei.com/a/life/article/20190902/0001.html

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