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【醬油の発祥は、日本】

 醬油は、約750年前の鎌倉時代、中国から帰国した禅僧・覚心が広めた味噌、その味噌造りから発展したのが醤油だ。
 醬油の発祥地は和歌山県湯浅町で、同町は醬油醸造の発祥地として文化庁の日本遺産に認定されている。

日本遺産認定.
 湯浅町で江戸時代末期の天保12年(1841年)に創業の老舗蔵元『角長(かどちょう)』。
 江戸期末期に建てられた仕込蔵、蔵の内部は天井が張られていない大空間で、むき出しの梁や棟木には200年近くに及ぶ醸造での酵母が付着している。
 町の中心部には角長を始め、江戸期からの醬油蔵の建物が数多く残る。平成29年、『“最初の一滴”醤油醸造の発祥の地、紀州湯浅』、として文化庁の日本遺産に認定された。
 更に今年10月、国の文化審議会が、角長の仕込蔵や醬油蔵、主屋など計11棟の建物を『重要文化財』に指定するよう、文部科学相に答申した。

味噌造りの副産物、醤油.
 禅僧・覚心は、信濃国(現在の長野県)に生まれ、宋に渡って修行する傍ら、味噌の製法も習得した。建長6年(1254年)に帰国し、現在の湯浅町近くの由良町に興国寺を開山。現在は金山寺味噌と呼ばれる『嘗(なめ)味噌』の製法を広めた。この嘗味噌が、醬油誕生の切っ掛けになった。
 野菜を漬け込んだ嘗味噌からは、塩の浸透圧で野菜から“汁”が発生する。当初、この汁は捨てていたが、ある時、この汁を味わってみたら、食品として使える事に気付いた。
 湯浅町周辺では、住民らが汁に改良を重ね、水に恵まれていた事もあり、醬油造りが普及。江戸期には紀州藩の保護を受け、全国規模で販路が拡大した。

新たな挑戦.
 日本醤油協会のまとめによると、昭和30年には醬油製造企業(工場)数は全国で6千を数えたが、平成7年に2千を切り、令和2年には1,108まで減少。同年の出荷量を見ると、大手5社の占める割合が50%を超えている。
 「醬油の出荷量自体も右肩下がり」(町商工会の担当者)、という地方の中小事業者には厳しい状況だが、醬油造りにかける発祥地の情熱は健在だ。
 角長では醬油のコクを出すため、材料の“もろみ”を通常よりも長く熟成させる醬油造りに取り組んでいる。これは、自然な形で旨みを引き出す醸造方法だ。出荷できる量は限られ、値段も割高になるが、味にこだわる愛好家の人気は高く、毎年商品化した分は売り切れている。
 一方、町内では新たな挑戦をする醸造家もいる。明治14年(1881年)の創業で、昭和40年ごろから休止していた醬油醸造を平成14年に再開させた『湯浅醤油』。フランスのワイナリーと連携し、使用済みワイン樽を使った醬油の現地生産に乗り出す。
 湯浅醤油の新古敏朗・代表(53)は、「フランスで醬油を造る事により、現地の人達に日本の醬油の事を身近に感じてもらえ、新しい可能性が広がる。醬油造りを始め、国内には伝統的な技術がある。そんな技術が忘れられていく状況は何とかしないといけない」、と力を込めて語っている。


●醤油の発祥は中国とばかり思っていたが・・・ 日本だったとは・・・ いやはや 目出度し 目出度し。


★産経ニュース『【関西の初】ルーツは味噌の汁 醤油は和歌山・湯浅で生まれた』(2022/11/21)、より.
★上記へのリンク https://www.sankei.com/article/20221121-CDK2ZWGCAJOVVMXX3WUIGZDEJU/

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