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【『本能寺の変』の黒幕】

 本能寺の変(織田信長、暗殺)について、従来から様々な黒幕説が噂されていた。ところが近年、変の直後に書かれた明智光秀直筆の手紙が発見され、その黒幕が浮かび上がってきた。

 本能寺の変は、元号を『元亀(げんき)』に改めた事が発端だった。
 変の12年前、『永禄』から『元亀』に改元された。室町時代、元号を決められるのは天皇のみだった。ところが足利義昭は、第15代将軍に就任してから半年で、改元をごり押しした。
 というのも、義昭が将軍に就任した当時、幕府の権威は地に落ちた状態だった。『永禄』の室町幕府は弱体化していたのだ。義昭は、そうした室町幕府の権威を取り戻すべく、「将軍の方が天皇より力がある」、という事を天下に示したかったのだ。
 そうしたごり押し改元に、激しく反発したのが織田信長だった。『元亀』改元を機に、“義昭vs信長”の軍事対決が勃発し、結果1573年、信長が義昭を討ち破り、将軍を京都から追放した。室町幕府はここに終焉を迎えた。
 それに対する恨みから、室町幕府最後の将軍・足利義昭は、光秀を操って本能寺の変を起こし、信長を暗殺。
 しかし羽柴秀吉(豊臣秀吉)の、『中国大返し』に対処できなかった光秀は討ち取られ、義昭と光秀が夢見ていた室町幕府の再興は成らなかった。

 冒頭で述べた光秀直筆の手紙は、本能寺の変の10日後、明智光秀が反信長派の武将に送った物で、そこには、「京都を追われた将軍を、必ず京都にお戻し致します」、と認められている。
 つまり本能寺の変(信長暗殺)は、光秀が義昭を京都に戻すための陰謀だった、という事になる。
東京大学教授、歴史学者・本郷和人氏の説.


★テレビ朝日、5/7放送『林修の今でしょ!講座:「元号&万葉集ミステリー」ほか』、より.

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