【「日本を降伏させるな」、スターリンの謀略】
ヴェノナ文書.
1995年、アメリカが機密文書・「ヴェノナ(VENONA)文書」を情報公開した。その公開によって世界では、第二次世界大戦と日米開戦の歴史が大きく見直されつつある。
「ヴェノナ文書」とは、1940年~1944年の間、アメリカにいたソ連のスパイとソ連本国との暗号電文を、アメリカ陸軍が密かに傍受し、1943年~1980年までの長期に亘り、アメリカ国家安全保障局(NSA)が、イギリス情報部と連携して解読した「ヴェノナ作戦」に関わる文書である。
第二次世界大戦当初、フィンランドを侵略したソ連は、「侵略国家」として国際連盟から除名された。ところが、ドイツがソ連を攻撃した1941年以降、「敵の敵は味方」という事で、アメリカのルーズベルト政権とイギリスのチャーチル政権は、ソ連のスターリン政権と組むようになった。
こうした流れの中でソ連に警戒心を抱いたのが、アメリカ陸軍情報部のカーター・クラーク大佐だ。
クラーク大佐は1943年2月、アメリカとソ連本国との暗号電文を傍受・解読する「ヴェノナ作戦」を指示した。その結果、驚くべき事実を突き止めた。ルーズベルト大統領の側近に、ソ連の工作員と思しき人達がいたのだ。
しかし当時、ソ連はアメリカの同盟国であり、ルーズベルト大統領の名誉を傷つける訳にはいかず、また、アメリカのインテリジェンス(諜報)能力をソ連に知られるのも得策ではない。こうした思惑もあり、この情報は長らく国家機密として非公開にされてきた。
50年ぶりに、ヴェノナ文書公開.
そして1995年、第二次世界大戦が終わってから50年が経ち、当時の関係者の大半が鬼籍に入り、ソ連という国も崩壊した。そこで漸く、このヴェノナ文書が公開される事となった。
この機密文書の公開により、ルーズベルト政権下のアメリカでソ連の工作員たちが暗躍し、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていた事が分かった。特に日米開戦とソ連の対日参戦、そして日本の終戦に深く関係している事が、このヴェノナ文書の公開とその研究の進展によって判明しつつある。
ソ連、対日参戦への道.
当時、日本もアメリカの軍幹部も早期終戦を望んでいた、にも拘わらず終戦が遅れたのは、対日参戦を望むソ連が、在米の工作員たちを使って早期終戦を妨害していたからだ。
1945年2月のヤルタ会談において、ルーズベルト大統領はソ連の対日参戦の見返りとして、ソ連による極東の支配をスターリンに約束した。
しかし、ヤルタ会談での密約は所詮、紙切れに過ぎない。スターリンからすれば、密約を確実に実現するためには、何としても対日参戦に踏み切り、満洲や千島列島などを軍事占領する必要があった。
ヤルタ会談当時のソ連は、ヒトラー率いるドイツと血みどろの戦いを繰り広げていた。
戦力に限りがあったソ連は、独ソ戦を片付けた後でなければ、満州などの極東地域に軍隊を割けなかった。
よって、日本が早期に降伏してしまったら、ソ連は対日参戦ができなくなり、アジアを支配下に置くチャンスを失ってしまう。
スターリンの立場からすれば、ソ連が軍隊を東に移動して太平洋戦線に参戦し、戦後のアジアに関する要求を確実にできるような軍備拡張をする時間を稼ぐため、日本の降伏を遅らせる必要があった。
また、アメリカの「特定集団」がアジアで「過酷な」和平を要求し続けた事も、日本の降伏を遅らせるのに役立った。
この「特定集団」とは、トルーマン政権に近い民間シンクタンク・「太平洋問題調査会」の事だが、ヴェノナ文書によって、この研究員の多くがソ連の工作員であった事が判明した。
そして、共産主義国家が誕生してしまった.
「ソ連の対日参戦を実現するまで、日本を降伏させるな」、スターリンのこうした意向を受けた終戦引き延ばし工作が、日本に対してだけでなく、アメリカのルーズベルト政権、後続のトルーマン政権に対して行われていた。
その工作の結果、ソ連の対日参戦が実現し、中国や北朝鮮という共産主義国家が誕生してしまった。
★iRONNA(オピニオン・サイト)『「日本を降伏させるな」米機密文書が暴いたスターリンの陰謀』(評論家・江崎道朗氏)、(2018/08/15)、より.
★上記へのリンク https://ironna.jp/article/10455
1995年、アメリカが機密文書・「ヴェノナ(VENONA)文書」を情報公開した。その公開によって世界では、第二次世界大戦と日米開戦の歴史が大きく見直されつつある。
「ヴェノナ文書」とは、1940年~1944年の間、アメリカにいたソ連のスパイとソ連本国との暗号電文を、アメリカ陸軍が密かに傍受し、1943年~1980年までの長期に亘り、アメリカ国家安全保障局(NSA)が、イギリス情報部と連携して解読した「ヴェノナ作戦」に関わる文書である。
第二次世界大戦当初、フィンランドを侵略したソ連は、「侵略国家」として国際連盟から除名された。ところが、ドイツがソ連を攻撃した1941年以降、「敵の敵は味方」という事で、アメリカのルーズベルト政権とイギリスのチャーチル政権は、ソ連のスターリン政権と組むようになった。
こうした流れの中でソ連に警戒心を抱いたのが、アメリカ陸軍情報部のカーター・クラーク大佐だ。
クラーク大佐は1943年2月、アメリカとソ連本国との暗号電文を傍受・解読する「ヴェノナ作戦」を指示した。その結果、驚くべき事実を突き止めた。ルーズベルト大統領の側近に、ソ連の工作員と思しき人達がいたのだ。
しかし当時、ソ連はアメリカの同盟国であり、ルーズベルト大統領の名誉を傷つける訳にはいかず、また、アメリカのインテリジェンス(諜報)能力をソ連に知られるのも得策ではない。こうした思惑もあり、この情報は長らく国家機密として非公開にされてきた。
50年ぶりに、ヴェノナ文書公開.
そして1995年、第二次世界大戦が終わってから50年が経ち、当時の関係者の大半が鬼籍に入り、ソ連という国も崩壊した。そこで漸く、このヴェノナ文書が公開される事となった。
この機密文書の公開により、ルーズベルト政権下のアメリカでソ連の工作員たちが暗躍し、アメリカの対外政策に大きな影響を与えていた事が分かった。特に日米開戦とソ連の対日参戦、そして日本の終戦に深く関係している事が、このヴェノナ文書の公開とその研究の進展によって判明しつつある。
ソ連、対日参戦への道.
当時、日本もアメリカの軍幹部も早期終戦を望んでいた、にも拘わらず終戦が遅れたのは、対日参戦を望むソ連が、在米の工作員たちを使って早期終戦を妨害していたからだ。
1945年2月のヤルタ会談において、ルーズベルト大統領はソ連の対日参戦の見返りとして、ソ連による極東の支配をスターリンに約束した。
しかし、ヤルタ会談での密約は所詮、紙切れに過ぎない。スターリンからすれば、密約を確実に実現するためには、何としても対日参戦に踏み切り、満洲や千島列島などを軍事占領する必要があった。
ヤルタ会談当時のソ連は、ヒトラー率いるドイツと血みどろの戦いを繰り広げていた。
戦力に限りがあったソ連は、独ソ戦を片付けた後でなければ、満州などの極東地域に軍隊を割けなかった。
よって、日本が早期に降伏してしまったら、ソ連は対日参戦ができなくなり、アジアを支配下に置くチャンスを失ってしまう。
スターリンの立場からすれば、ソ連が軍隊を東に移動して太平洋戦線に参戦し、戦後のアジアに関する要求を確実にできるような軍備拡張をする時間を稼ぐため、日本の降伏を遅らせる必要があった。
また、アメリカの「特定集団」がアジアで「過酷な」和平を要求し続けた事も、日本の降伏を遅らせるのに役立った。
この「特定集団」とは、トルーマン政権に近い民間シンクタンク・「太平洋問題調査会」の事だが、ヴェノナ文書によって、この研究員の多くがソ連の工作員であった事が判明した。
そして、共産主義国家が誕生してしまった.
「ソ連の対日参戦を実現するまで、日本を降伏させるな」、スターリンのこうした意向を受けた終戦引き延ばし工作が、日本に対してだけでなく、アメリカのルーズベルト政権、後続のトルーマン政権に対して行われていた。
その工作の結果、ソ連の対日参戦が実現し、中国や北朝鮮という共産主義国家が誕生してしまった。
敬称略.
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★iRONNA(オピニオン・サイト)『「日本を降伏させるな」米機密文書が暴いたスターリンの陰謀』(評論家・江崎道朗氏)、(2018/08/15)、より.
★上記へのリンク https://ironna.jp/article/10455